何も楽しくない、何も感じない

 

 楽しくないことは誰にでも、いつでも、あることである。うつ病では「何も」楽しくない、というのがポイントとなる症状である。文字通り「何も」楽しくない。だから、趣味に目を向けさせてもダメなのである。こういう症状があるということを認識することは、うつ病の人の家族や周囲にいる人にとって、大切なことである。うつという症状は、誰もが体験する落ち込みに似ているために、つい自分の経験から対応策を考えてしまう。たとえば、落ち込んだら気分転換をすればいいと考えてしまう。それには趣味に目を向けるというのがまず考えつく方法である。ところがそれも楽しくないというのが、まさに病気の症状なのである。うつ病の人は、かえって、趣味も楽しめなくなってしまった自分に気づいて愕然としてしまうこともある。

 

 「何も感じない」、というのは、「何も楽しくない」、と同じことのように思われるかもしれない。確かに同じようなところもある。しかし、うつ病の症状で「何も感じない」というのは、時には悲しみさえ感じないということだ。自分のまわりの人が、物が、時間が、ただ流れ去っていく。みんな自分のすぐ近くにあるのに、自分とは関係のない出来事である。楽しくも悲しくもない。とても可愛がっていたペットが死んだのに、全然悲しいという気持ちが起こらない、と言われる人もいる。自殺しようとは思わないが、事故か何かで自然に死んでしまえればそれならそれでいい、と言われる人もいる。自分の命の重みさえ感じられなくなる。これはある意味では最も恐ろしい症状かもしれない。

擬態うつ病林公一著より

 

 

◇悲観的考え・自責的考え

 何も感じない、悲しみも感じない、というのはうつ病ではあり得ることではあるが、やはり多いのは何もかも悲観的に考えることである。まず過去を悩む。自分のしてきたことが無意味だったとか、悪かったという悩みである。過去に犯した些細なミスや、ちょっとした卑怯な行為などに強迫的にこだわって、自分を限りなく責めることもよく見られる。過去だけでなく、将来についても真っ暗だと悩む。あらゆることを悪い方向に考え、将来には絶望しかないと考える。自分の能力が全くなくなってしまったという意識が、これに関係することもある。

 

 こうした考えに対して、説得して安心させようとしてもほとんど無駄である。こういうふうに考えるということ自体がうつ病の症状なのであって、理屈で大丈夫といくら説明しても本人は決して納得されない。

 

 だから、何かを判断してはいけない。判断の基礎となる思考が正常ではないのである。自分が悪かったからとか、将来に希望がないからといって、仕事を辞めるとか、学校を辞めるとか考えることも多い。しかしもしそうすると後で後悔することになる。判断は保留にして、治ってから考えた方がいいのである。

擬態うつ病林公一著より